2026/07/14 14:10

...
三年前の夏に、友だちと車で青森へ行った。俺にとっては大きな一つのことが終わった節目で、彼にとっては大きな一つのことを始めようとするタイミングだった。
朝から夜まで下道を走り(旅路の殆どは彼がハンドルを握ってくれた)、田舎の脇道や駐車場に車を停めて眠りにつく、絵に描いたような貧乏旅行だった。
エンジンを切った夏の車はマジで暑くて、毎朝5時にうなされながら目を覚ましていた。酷暑による睡眠不足がたたって何度かガードレールを突き破りそうになったが(そういう時は大体俺がハンドルを握っていた)、居眠り事故を起こさずに済んだのは、道すがらに立ち寄ったブックオフで見つけたケン・イシイのアルバム3枚とCDに対応したオールドカーステレオのおかげだ。眠くても暑くても腹が減っていても、テクノはいつだってアドレナリンを増幅してくれる。

車を走らせてから三日目か四日目くらいで青森に着いた気がする。道中の時間の感覚はあやふやだけど、青森に着いた日付ははっきり覚えている。2023年8月7日、コロナ禍を経て4年ぶりに復活した、ねぶた祭の夜間運行最終日だった。

...
花火が散って祭が終わった後も尚、街に伝った余熱は冷める様子がなかった。
友だちの目も、強い熱を帯びていた。
彼は、彼にとって大きな一つのことを始める決心をした。俺はその決心を見届けて、彼が最初の一歩を踏み終わるまでの間、青森の街を歩き回ることにした。
街のそこら中で盛り場が自然発生していて、公道と私有地の境目が無くなり混沌とした状況だった。途切れることのない盛り場の連なりから響いてくる酔っ払いたちの東北訛りは、遠い街に一人でいることを改めて意識させてくれて、とても心地よかった。

野良の盛り場だらけになった大通りを抜けて進んでいくと、大きな貨物船が停まっている港があった。わずかな灯しかない、薄暗い船着き場だった。後ろを振り返ると、友だちのいる街が遠くに見えた。
港と街は、正反対の、まったく違う空間だった。今いる港がどこなのかも分かっていない俺は漂流した宇宙探査機の乗組員で、向こう側に見える明るい電飾と人のエネルギーに満ちた街は、大きな一つの星のようだった。
青森に来る前、俺は俺にとって大きな一つのことを終わらせて、達成感を募らせていた。募らせすぎて、燃え尽きていた。でも、祭や、街や、彼を見て、いつかまた、熱を取り戻したいと思った。

...
その夜はさすがに風呂に入りたかった。
笑って済ませられる汗の量じゃない。Tシャツもデニムもびちゃびちゃだ。疲労で鼻が効かなくなっているが、多分めちゃくちゃ臭い。特に俺は足がめちゃくちゃ臭くなるから、恥ずかしい。
しかし既に0時を回っていて、刺青を許してくれるような銭湯はどこも空いていなかった。
贅沢は言わない。シャンプーは要らない。石鹸も要らない。なんならお湯じゃなくてもいい。とにかく真水で身体を流したい。
苦肉の策。俺たちは、潮風と汗が纏わりつく海辺の街を出て、グーグルマップで見つけた湖へ向かうことにした。

何時に着いたか覚えていないが、まだ真っ暗な夜だった。
グーグルマップが示したのは、ほぼ未舗装の獣道を走って山を越えるルートで、俺も彼も不安でしょうがなかったが、カーステに挿し込んだケン・イシイのflatspinが全ての雑念をかき消したのか、彼はひたすらアクセルを踏み続けてくれた。俺は心の中で東洋のテクノゴッドに再び感謝し手を合わせた。
やがて辿り着いた湖は、仙境といった言葉がぴったりハマるような美しい場所だった。
誰もいない、月と星の光だけが射す湖は、今まで入ったどんな風呂よりも贅沢で、この旅の疲労と苦痛、その全てが報われたように感じた。やがて旅が終わり、日常に戻って怒りや悲しみが襲ってきても、この湖を思い出せばなんとかやっていけるだろう。大阪に戻っても今日のことを忘れないように、手探りで、湖底に沈んだ小石を一つ拾って持ち帰った。
...
2026年、俺は、真っ暗で美しかった湖のことも、大きな一つの星のような街のことも、三年前の夏に手に入れた何もかもをすっかり忘れていた。
思い出させてくれたのは部屋の隅で埃を被っていた湖底の石だ。何気なく拾い上げて触っていると、石を乗せた手のひらから頭へ、三年前の記憶や情緒がじんわりと滲みながら入ってくる感覚を覚えた。
石は、触覚を通じて、言葉の外側にある気持ちを伝えてくれる。削れてすべすべになった部分は優しさを、ごつごつした部分は痛みを、触れた先から身体の端々にかけて、雄弁に滲ませていく。
人と語るや話を聞くに疲れたら、なんてことのない凡庸な小石に触れたらいい。一人で本を読んだり映画を観る行為と同じ位置に、石は転がっている。
(Text by sainen)
-----------




--
ブックカバー
漫画の単行本や新書判、B6判の本を収納できます。
素材 : 綿、ポリエステル、石
Made by 〜 (ig @shiromi_yosai × @sainen__ )
Not Available Online
Physical Store Only
--

